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私が海外移住を可能と考える理由

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こんにちは、令和2年の誕生日で55歳になった元地方サラリーマンのasuka3世です。

 

会社を早期退職して、日本とマレーシアで季節の良い時期に行き来するF.I.R.E生活を始めました。

 

 

海外移住と聞くとすごくハードルが高いことに思う人が多いと思いますが、私自身は何とか、やっていけると考えています。

マレーシアにはリタイアメントビザ(MM2H)の制度があります。

私は在職中の2018年に先人が書いたブログ記事と移民局のホームページ(英語)を参考にして、個人申請という方法でMM2Hビザを得る手続きを完遂しています。

 

今振り返ると、無謀に近い暴挙だったかもしれませんが、申請書類(英文)をすべて自分で揃えて、マレーシア現地の移民局に出向いて提出しました。約半年後に仮承認連絡が来て、再びマレーシアを訪問して、現地の銀行で口座開設、個人医院で健康診断を受けるようなことを拙い英語で行いました。

要するに、そうしたことが個人でできる程度に英語力は身についているということです。

 

過去のブログでは1億円という資産形成の話題とお金が増えることで他人と比べて、自分を卑下するようなマイナス感情を抱かないようになったことを中心に書いてきました。

このブログでは私の英語学習・経験値について、振り返ってみようと思います。

中・高校生時代  得意な科目は数学、物理
高校時代の英語試験は赤点(30点)の常習者
地方県の国立大学工学部に拾ってもらう。大学1年目の新入生歓迎会で記憶を失くして、いつの間にかE.S.S. (English Speaking Society)という英会話クラブに入会 (したらしい。=正直、覚えていない。)      
ESSクラブでやったこと。 発声練習、ヒアリング、実践英会話、 ディベート(討論)、スピーチ、ドラマなど一通り学ぶ。
歯学部と医学部の同期メンバーが別キャンパスに移動したため、抜けた後にクラブの部長を押し付けられる。
大学中に正確性は乏しいが英語を口にすること自体は抵抗がなくなる。
会社員5年目にUターンを考え、会社に退職相談したところ、紆余曲折の末、ヨーロッパの技術駐在員の人事が舞い込む。
27歳から30歳までの3年間、ドイツのヨーロッパヘッドオフィスで技術駐在員で勤務。仕事では英語を使い、生活ではドイツ語を覚えた。
ヨーロッパ各国の展示会や営業部門との商談、夏と冬のバカンスを通じて、ヨーロッパ内20数カ国を訪問。ドイツ以外は英語でコミュニケーションをとっていた。
30歳で結婚を機に、私と妻の実家がある地元県の事業所・技術部門に転勤。
事業所を訪問してくる外国人営業マンやお客様に工場案内したり、企業のISO監査で責任者としてたまに英語を使う仕事があった。
30歳以降は年に最低1回は海外旅行に出かけて、海外渡航国は30カ国を突破。

こうして、振り返ると地方県の工業系メーカー勤務のサラリーマンらしくない経験値だなと、自分でも思います。

私にとって英語はコミュニケーションツールの1つです。試験のような完璧さは気にしていません。

相手の言っていることの大意が理解出来て、自分の伝えたいことを分かってもらいたいだけなので、ジェスチャーや筆談だってありだと思います。

 

スマートフォンで自動翻訳機能を利用して、コミュニケーションすることだって、どんどん進化して、自分で英語を話す必要がない時代もそう遠いことではないように感じています。

 

いずれにしても、日本という小さな島国に閉じこもったセカンドライフよりも広い世界で生活するライフスタイルに憧れている自分と正直に向き合いたいのだと思います。

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