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サラリーマン生活30数年で学んだ教訓

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こんにちは、令和2年の誕生日で55歳になった地方サラリーマンのasuka3世です。

2020年12月末に32年9ヵ月勤めた会社を退職して、FIREしました。F.I.R.E.というのは”Financial Independence, Retire Early”の頭文字で経済的独立(FI)と早期退職(ER)を実現したライフスタイルです。

 

私のブログはよくある、1億円に向けてチャレンジしている現在進行形のブログとは異なり、1億円貯まったという結果から振り返って、その過程で行ってきたことや考え方を書いています。

 

このブログでは22歳で就職してから55歳までのサラリーマン人生を通じて経験したことから私が学んだ人生訓を紹介します。

 

私が経験から学び、「本当にそうだな」と思うことの1つに中国の故事「人間万事が塞翁が馬」があります。

私は自分の経験に当てはめて「世の中、良いことだけが続くことも悪いことだけが続くこともない、お互いが交互にやって来る。」と解釈しています。、

 

例えば、こんなエピソードがありました。
私の会社には社員が自ら希望する仕事や職場を書く”自己申告書”というものがありました。私はそこに毎年、”海外勤務”の希望を書き続けていました。しかし、希望が叶うことなく入社5年目辺りに「このまま、関東圏で仕事を続けても、この先に良い展望が見えてこないし、いっそ地元県にUターン就職しようか」と悩んでいました。実際に行動を起こして、地元県の就職希望先から内定をもらい、直属の上司に退職の意思を伝えました。
すると、約半月後に「ヨーロッパで技術駐在員が欲しいという話しがあるが、この人事を受ける希望はないか?」という打診が面識のある部長の方から舞い込んできました。

会社を辞めるというやり取りがなければ、海外駐在の打診はなかったかも知れません。
そして、次にはこんなエピソードがありました。
ヨーロッパで3年勤務して、「そろそろ次の転勤のタイミングかな?」と思っていた頃に1つ年上の女性と結婚する話しが決まりました。
その報告と合わせて「結婚相手が私と同じ地元県に努めているので、地元県の職場に転勤できないか?」と相談したら、すんなり希望が叶いました。
日本に帰国して、半年後に結婚し、新婚旅行から戻った1月後、俗に言う幸せなタイミングにアクシデントが発生しました。
仕事中に急な腹痛に襲われ、時間と共に症状が悪化して、動けなくなった私を職場上長が近隣の病院に連れて行ってくれました。
そこで”急性盲腸炎”と診断され、「ここで、このまま手術するか?」というまさかの展開になりました。腹痛で意識が朦朧としている私は上司から診断結果を聞き、家族への連絡について聞かれ、「妻の勤めている病院に連絡を入れて、手術の相談をしたい。」と伝えました。
妻が勤める病院までストレッチャーに乗せられ、人生で初の救急車による緊急搬送を経験しました。緊急手術は行わなかったのですが、薬で腹痛が収まって意識も普通に戻った時、私は妻が勤める病院のベッドの上というあり様でした。
後日談ですが、新婚直後に妻が勤める病院で入院生活を送る事態になった私の病室に来る若い看護師さんが「いつも★※ψさん(妻)にお世話になってます。」とか、「★※ψさんの旦那さんがここに入院しているそうよ」と看護師同士の会話が聞こえて……。妻に感謝しつつも、居心地の悪い入院生活になりました。
こうしたエピソードを落ち着いてから思い出すと、私の人生には良いことと悪いことが交互に起きていて、人生の予測なんて出来ないものだとつくづく実感しました。

 

私は先取貯金とインデックス積立投資を約20数年間続けて来ました。現・預金とリスク資産を4:6~5:5くらいのポートフォリオで長期保有する間にバブル崩壊、ITバブル、リーマンショックなどの大きな下げも経験しています。幸いにも2013年辺りからの「アベノミクス効果」でそれまでの積立分がほぼすべて黒字化して、金融資産は1億円を超えるレベルになっていました。世の中の景気も予測した通りには動かず、良い時と悪い時が繰り返しています。

50歳前に金融資産が1億円あれば、リタイアしても困らずに暮らしていけるかもとふと、考えました。当時はまだFIREという言葉よりも「アーリーリタイア、セミリタイア」という呼び方が一般的でした。

 

そこから、早期退職した後の人生を真剣に考え始め、マレーシアと日本の2拠点生活を計画して来ました。マレーシアに住む利点は「気候、言葉、物価、日本との時差、天災の少なさ、地理的条件」など挙げればきりがないです。計画を実現するためには長期滞在が可能なMM2Hビザの取得が不可欠と考えて、2018年に在職した状態でビザを取りました。
2019年2月にマレーシア・クアラルンプールに行って、銀行や不動産コンサル会社と滞在用のコンドミニアムの相談をして、帰国した翌日に東京でコロナ騒動による非常事態宣言が出されました。その後、マレーシアでも3月8日からロックダウンが始まり、2020年2月現在でもコロナ禍影響が続いています。
2020年9月にマレーシア政府はMM2Hビザの新規申請を停止し、審議途中だった2019年以降の申請の9割が却下されるという予測できない事態が起きました。現在も申請停止状態で再開時には条件面のハードルが上がるという情報を聞いています。多くのビザ発行希望者が困っている一方、「2018年にビザを所得していて本当に助かった(良かった)」と思います。
本当に「人間万事、塞翁が馬」とはよく言ったものです。

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